Day 67, Aug 21 Fri 猪苗代湖(Lake Inawashiro)
6時前起床。椅子を並べただけのベッドだったのに意外にもよく眠れた。目の前の食堂は既にオバちゃんが準備をしている。
9時半には磐梯熱海駅へ着く。
ここで嬉しい足湯発見!
4日間も風呂に入っていないので勿論速攻で浸かる。
先客の婆さんがいなかったら間違いなく頭を洗っていた。
温泉街はかなり寂れ、チラホラと潰れた温泉宿が目につく。。
この先には峠が待つ。
30分我慢して走れば何とかなると言い聞かせ走るも大したことなし。
既に身体能力は通常の3倍か?
緩やかな下りを抜けると猪苗代湖が見えてきた。かなり寒い。。。 20度位か。
今夜は雨の予報。湖を見る喜びはなく心は既に寝床を探している。
社か、
潰れたガソリンスタンドか、
はたまた廃車の車の中か?
そんな事を考えていると磐梯山が頭を出してきた。
先へ進むと民族館。
上層の農民の家。
当時のままに保存されいて予想外の見応え!
下層農民の家には畳がない。正月だけ敷くそうだ。
ちなみに昭和の始めまで下層農民は土間に藁を敷いて食事を採っていたらしい。
こ、これは凄い。。。
ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
更にすぐその先には脳梅毒など数々の細菌を発見した野口英世館がある。
英世の生まれた家がそのままに残っていて、見た感じはかなり良いレベルの農民の家。
大火傷をした囲炉裏もそのままに。
悲しいかな外に出ると雨が振り始めていた。
時折後ろから襲ってくるトラックの爆音と水しぶきに怯えながら、とにかく寝床を探しひた走る。
と、その時バス停が、
今日はもうここでいいか。
だが食料は殆どなくまだ14時前。結局暖を求めまたひた走る事に。
気温は僅か22度。真っ昼間でこの気温じゃ明日朝はかなり冷え込みそう(T_T)。雨のせいでキャンプ場は除外。
とにかく早く寝床を探さねば。
と、そこでいい感じの建屋が!
トイレと自動販売機があり、しかも軒下にテントが張れるぞ。
「やったーーー(^O^)/」
がしかし。。。
く、熊が。。。 またしても熊か( ̄ω ̄;) 。
しかも真新しい貼り紙。
泣く泣くこの場を後にし、またまた走る事に。
橋の下も絶壁で無理ぢゃーーー。
「いい加減疲れた(ヽ´ω`)」
ヒントは...
である。
おやすみなさい。
本日の走行距離73KM
Day 66, Aug 20 Wed 福島市(Fukushima)
Day 65, Aug 19 Wed 松島(Matsushima) −仙台(Sendai)
5時前起床。朝も早くから暴走族が爆音を響か突っ走っている。
6時には出発。
被災時の野蒜駅。
運良く仙台に行っていて生き残った老婆が「町はすっかり変わってしまった」と嘆いていた。
ご主人は津波被害に遭うも、自宅の外に流されず、翌日午後5時に助け出され生き残る。直前まで家の中で話をしていた隣の友人は帰らぬ人に。
海抜は殆どゼロメートル。
暫くするとようやく松島が見えてきた。
五大堂の橋は結構危険。
1604年、伊達政宗建立の五大堂。
この近くには正宗の位牌が置かれている瑞巌寺がある。
本堂へ前に置かれた銅像。
残念ながら本堂は修復中で仮の本堂へ入る。
大した物は置いてなさそうだと思っていたら
伊達家の位牌が置いてあり、
な、なんと伊達政宗公の巨大な位牌まである。
本来は公開していないものだが、本堂が修復中の為、期間限定で特別公開中!
寶華殿(ほうげでん)。正宗の正室愛姫(めごひめ)の墓堂。
隣の円通寺には美しい庭園が造られている。
久々の観光名所に気を良くして走るも道悪し。
道路沿いからは殆ど松島の景観が見えないので遊覧船がお勧め。
周りはこんな感じで城跡すらなし。なんとか観光客を呼び寄せようと必死なのがよくわかる。
でもここの「ずんだ餅」は美味かった。
その後は寝床を探して国道4号線を南へ下る。
川沿いの公園を目指すも線路で先に行けず、
日が暮れ始めたので泣く泣く土手下で蚊に刺されながらテントで終了。
本日の走行距離65KM
Day 64, Aug 18 Tue 石巻(Ishinomaki) ー 奥松島(Okumatsushima)
畳はやっぱり硬くて寝心地が悪かった。痛くて何度か起きるも客は俺一人で静か。
石巻駅に着くと石ノ森章太郎のサイボーグ009だらけ。宮城県出身だった。
5時には起きる。昨夜は強い雨が降ったようだ。
道の駅かわさき。どんより雲だが雨は上がった。
涼しくて気持ちいーーー。
道の駅近くの北上川。7時過ぎにはすっかり晴れ上がる。
絶景が続き車も少なく最高!
宮城県で一番安い弁当を買い、
川の土手で早めの昼食。
でもまだまだ震災の爪痕は残っている。
門脇町は殆ど壊滅。
見た感じ復旧はいつになるのか分からない。
手付かずで残った醤油屋?
松島まで行く予定だったが、風が強く彷徨い路を間違えて奥松島に来てしまう。
結局疲れ果て、修復中の防波堤の前でテントを張るはめに。この道路は通行止め。
防波堤の上から海岸を望む。
久々の夕日と共に静かに眠る夜だった。
本日の走行距離92KM
Day 63, Aug 17 Mon 陸前高田(Rikuzentakata) ー 気仙沼(Kesennuma) ー 一関(Ichinoseki)
久々のホテル宿泊。
あれだけ恋しかったフカフカの布団はなぜか寝心地が悪く5時には目が覚める。
目的地に入ると、未だ被害を受けた建物が見えて来た。
津波の被害を受けたアパート。最上階の窓ガラスのみ割れていない。この周りにはこのビル以外何もない。
津波水位15.1メートル。
この高さありえない!!Σ(゚Д゚)
手付かずで残っている廃墟の道の駅。
ここで神戸から自転車でやって来た中学校の教師と遭遇し、一緒に奇跡の一本松へ行く事に。
350年前から植林されていた7万本の松の木は津波で壊滅。この1本だけ残ったが海水で根が腐り枯死。
海抜の高さを嵩上げするため、山に直結しているベルトコンベア。
土が運ばれていたが、終わるのはいつになるのか。。。
道路さえ走りづらい。
11時前、お魚いちばで早目のランチ。
刺し身定食。カツオが大きてく分厚い!
気仙沼は小高い山に囲まれ、古い建屋が立ち並ぶ昭和臭い小さな町。
廃業してしまった醤油屋のビル。
12時22分、一関市行きの列車に乗る。
あまりにもトンネルが危険なので、これ以上三陸は走りたくなくなってしまった。
1時間程で無人の陸中門崎駅へ到着
中学校の先生は一関駅で乗り換え、普通列車で東京まで。その後、神戸行きの深夜バスに乗り、そのまま学校へ自転車出勤。
教頭先生にシャワー室を開けてもらい、置いておいたスーツに着替えて完了の予定。夏休みの宿題を集めるだけなので、今日は楽らしい。
「体力あるーー。さすが26才」
自分はと言うと、今日は雨だし走る気にならない。今夜は強い雨が来るらしい。
そんな訳で駅近くの道の駅で寝ることにした。
今夜は畳付きです。
本日の走行距離53KM
Day 62, Aug 16 Sun 遠野市(Tohno)
ライトアップされていた眼鏡橋。
今日は東の日本海側へ向けて5時半出発。
このバイクで旅をしている広島の医大生は道の駅のベンチで宿泊。朝の5時前から勉強をしていた。
国道283号線は走りやすく絶景の連続。
長閑な風景と美味い空気が最高。
国道283号線を走っていると、突然自動車専用道路に。
仙人峠と呼ばれる旧道を走らなければいけなくなる。
地図で調べるとメチャクチャきつそう。。。
景色も段々と秘境の雰囲気。
突然トンネルが現れる。どうやら地図上の一直線。
このトンネル真っ暗で物凄く怖い。。。
( ̄д ̄;)
でもどうやらトンネルまでが登りで後は急激な下り。逆方向から来ていたら死んでいた。
釜石を走っていると突然SLが黒鉛を撒き散らしながら走って来てビックリ。
この後、国道45号線を国道沿いに走る。
未だ復旧進まず。
泊まるつもりだった公園は、仮設住宅地になっていて泊まれない。
物凄くアップダウンの激しい海岸線の連続。
道も細く、恐ろしいほどに暗く危険なトンネルの数々。
ギブアップして列車に乗ろうとしたが、路線は未だ復旧していない。
結局大船渡市まで走り、
あまりの疲れでホテル椿へ泊まることにした。
本日の走行距離106KM
Day 61, Aug 15 Sat 盛岡(Morioka) ー 花巻(Hanamaki)
寒い。。。
10時過ぎ太陽が顔を出し始める。
寒さで夜明け前目が覚める。
おそらく20度以下。
6時頃、川は水かさを増している。
放置していたびしょ濡れのテントを取りに行くと雷がゴロゴロと鳴り響き、盛大に大雨を後押しする。
朝食は魚の缶詰、キュウリにプチトマト。
川から来る風が冷たい。。。
昨日の夜は最悪だった。
天気予報大ハズレ。
雨が小降りになるのを待ち8時15分出発。
川は荒れるも、